著者について

ピート・ベガス はルイジアナの小さな町(Ferriday)で育ちました。彼の家は古くから農業に携わっていましたから、彼も大豆の栽培で大学の授業料を稼いでいたほどです。ルイジアナ州立大学の農業経営学部を卒業した後、チキータ・バナナ社のパナマにある12000エーカーの農場で2年間はたらきました。そのあとはパーバード大学で修士号(MBA)を取得しました。

その後、コメット・ライス社とプエルトリコ政府の共同出資会社に就職しました。プエルトリコ政府は、使われていない砂糖キビ畑でお米を生産し、国内で精米する計画でした。ピートはその計画のマネージャーとして、施設の建設から200人の従業員の管理まで担当しました。ここでピートは、お米の栽培、乾燥、精米、そしてマーケッティングを学ぶ貴重な機会を得ました。現地での生産が弱まり、海外から米を輸入することになりました。この結果、ピートは港湾労働とお米のバルク輸出入の知識を得ました。この会社はピートの在籍中に、大変大きな成功を収めました。

1986年に、ピートはコメット・ライス・ミル社の副社長としてアメリカに戻ってきました。当時、コメット社はカリフォルニアのマックスウェルと、ミシッシッピーのグリーンビルに大きな精米工場をもっていましたが、ピートは世界中を廻ってセールスに勤めました。その間、タイのジャスミン・ライス、北インド地方のバスマティ・ライス、日本のジャポニカ・ライスなどを勉強しました。また会社の代表として、コメット社との共同出資会社を、ヨーロッパとアジアで設立しました。当時、アメリカ産の米の最も大きなマーケットはイラクでした。そのころはイラクへの輸出はすべて50キロ袋で行われていました。以前に培った経験をいかして、ヨルダンのアカバにバルク輸送配送施設を設計し、その建設を監督しました。その施設は、大量の高品質精米をバルクで搬入し、それを袋詰めし目的地に配送する、最新の技術を初めて導入したものでした。大幅なコスト削減に成功しました。これによりコメット社は、イラクに年間30万トンを超えるお米を輸出し、他社を圧倒していました。イラン戦争がアメリカのお米の輸入を停止する数ヵ月前に、ピートはコメット・ライス・イングリーディエンツ社(コメット・ライスの子会社として)をスタートするために、コメット社の副社長の職を辞職しました。

ピートは常に食品科学に興味をもっていましたから、海外を旅する際にはいつも諸外国の人が一般的な使用方法以外にどんな方法でお米を使っているのかに注意してきました。アメリカでは他の穀物、例えばコーンなどはスナックやスターチ、モルトデキストリン、高フルクトース・コーン・シロップ、クッキング・オイルなどに利用されています。ピートはお米を使って同じ様な製品を開発するために新しい会社、コメット・ライス・イングリーディエンツ社を設立しました。それ以降、当社はさまざまなライス製品を開発してまいりました。米粉、加工米粉、インスタントライス、そしてIQFライス(冷凍米飯)などがその例として上げられます。1998年はアメリカン・ライス社は経営の危機にたたされました。その間に、ピートはロサンジェルスの出資者とともに同社の設備等を買収しました。そして社名をセージ・ファイブ・フーズ社と変更し、今日に至っております。現在はテキサスのフリーポートの3つの食品生産工場でお米を素にした製品を製造し、アメリカ国内のほとんどの大手食品生産会社に販売しています。